シリーズでお届けしています、「私が音楽のプレゼントをした時第3弾」は、
おばあちゃんへの贈り物としてのエピソードをご紹介します。
私の祖母は、幼い頃から私の良き理解者であり、
今も含め、ずっと私の音楽を応援し続けてくれている存在なので、
何度も曲を聴いてもらったり、作ったりしていたように思いますが、
初めてCDにきちんと焼いてプレゼントしたのは、
祖父の17回忌法要の時だったように記憶しています。
私が2歳の時に祖父が他界し、早くに未亡人になった祖母は
当初は夜になると人知れずよく布団の中で泣いていました。
子ども心に、祖母のすすり泣きが聞こえる度に悲しくて、
どうしたらいいものかと胸がキュンとなった記憶があります。
「このままおばあちゃんも一緒にお空へ行ってしまったらどうしよう…」
そんな不安に駆られたこともありましたが、
元々病弱だったはずの祖母は、上手に病気とも付き合いながら
元気に、一人で祖父との家を守り続けてくれました。
そうして気づけば祖父が亡くなって17年の月日が経ち、
法事で親戚皆と集まることになったのですが、
17年もの長い間、おじいちゃんがいない家を守りながら、
きっと私たちが知らない色々な思いを乗り越えたであろう祖母に
「元気で生きていてくれてありがとう」
「ずっと私たちのおばあちゃんとして、見守り続けてくれてありがとう」
「17年間、本当にお疲れ様だったね」
そんな気持ちを伝えたくて、手紙に曲を添えて贈りました。
その当時は、まだ歌を書いたことがなく、贈ったのはピアノ曲だったので、
祖母への思いは歌詞の代わりに手紙を、
言葉にならない感情はメロディーで伝えました。
祖母は、しばらく毎日そのCDをかけ続けてくれていたそうです。
祖母ほど、CDのあげ甲斐がある人もいません(笑)
もう一人の祖母への音楽のプレゼントは、
残念ながら、亡くなった時が最初で最後になってしまいました。
供養の意味も込めて、お葬式に間に合わせて作りました。
もちろん、祖母との思い出を思い描きながら作りましたが、
どこかに母親を亡くした父を元気づける意味もあった気がします。
この曲を作った時ばかりは、どうして祖母が生きている時に
作らなかったろうと後悔しました。
もう祖母の感想や喜ぶ顔は見えませんからね。
その時学んだことは、大切にしたいと思っている人への行動や
伝えたいと思っている言葉は、
相手が生きている間に、伝えられる時に
しなくてはならないのだなということです。
もちろん、自分自身の命があるうちに…!
生きているから、命があるから、
私たちは失敗しても、何度でもやり直せるんですね。
皆さんにとって、そんな大切な相手がいるのなら、
私のような後悔がありませんように。
とても長くなってしまいましたが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回のおばあちゃん編でのエピソードをヒントに考えた
活用例を記載しておりますので、
よろしければ《選べる5コース》のBコースの部分も
参考までにご覧ください。
人気ブログランキングに参加しております。
よろしければ応援よろしくお願いします。